40歳になっちゃった!結婚7年目、2012年2月から不妊治療を始めました。
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お久しぶりです。1年も経ってしまいました。
こんばんは。
気が付いたら前回の記事から、ちょうど1年が経っていました。
健忘録ではありましたが、自分の経験が、どこかにいる誰かの参考になれば、と思って書いていたはずのブログなのに、この1年はどうしてもブログに向かえませんでした。
何度も「ダメでした」と報告するばかり、愚痴ばかりのブログ。
開くのがいやになり、記事を書くことが億劫になり。
やっぱり、疲弊していたんですかね。
初めての流産手術を経験した後、いろいろ悩んだり考えたりした結果、治療は続けました。
まずはこの1年の治療経緯を簡潔にお話したいと思います。
心拍が確認できず、流産となり、手術を終えた後。
2周期あけて、凍結していた2つの胚盤胞を移植しました。無事ひとつが着床し、陽性判定をいただきました。5wで胎のう確認、6wで心拍確認と順調に進み「10週に入ったら卒院ですね」なんて院長から言われ、母子手帳ももらってきました。
しかし、10w1dのエコーで見た赤ちゃんの心臓は、残念ながら止まっていました。
その報告をしたとき、初めて旦那が泣きました。
そして2度目の流産手術。
院長の勧めで受けた検査の結果、赤ちゃんは染色体異常だったことがわかりました。
もし、その後も順調に育っていたとしても、その異常がわかった時点で中絶を選んでいたことでしょう。仕方のないことなんだ、自然淘汰なんだ、親孝行な子なんだ、と考えることしかできませんでした。
その染色体検査の結果が出るまでは約1カ月かかりました。
39歳で採卵した卵子です、染色体異常の確率が高いことはわかっています。覚悟はしていたので、ショックというよりは「そうですよね」という気持ちでした。
それよりなにより衝撃を受けたのは、報告書に書かれていたYYの文字。赤ちゃんは女の子でした。
そっか、あの子は女の子だったんだ。
エコーに映っていた、頭と体の2等身だった小さな受精卵が、確かに生きていた「子供の命」として胸に飛び込んできて、涙があふれそうになりました。
幸せなことに、私にはまだ2つの凍結胚盤胞があるので、流産手術の後、2回の生理が来れば移植は可能でした。でもその子たちを迎える心の準備が出来なくて、ずるずると4回の生理を見送りました。
お迎えしても、またダメだったらどうしよう。
また染色体異常だったらどうしよう。
それなのに、もっと育ってしまってからわかったら、どうしよう。
そもそも、私はまだ子供が欲しいんだろうか。
そんなことをぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる、考えてばかりの毎日でした。
やっと、やっと。
自分が望んで作りだした命を廃棄するなんてありえない、と思えるようになりました。
今周期、凍結している二子ちゃんを戻します。
どんな結果になったとしても、もう採卵はしません。
今出来ることを頑張る、ただそれだけです。
※私信※
ミーコロさん!ご出産、本当に本当におめでとうございます。
ブログは楽しく拝見させていただいておりましたが、パスとIDがわからなくなってしまって、コメントを書き込めなかったのでこちらから失礼します。まだ見てくれているかわかりませんが、ミーコロさんに伝わることを祈って。たくさんの優しさをありがとうございました。ミーコロさんと旦那さん、そしてベビちゃんが素敵な親子になれる未来を確信しながら、ニヤニヤしています(*´∇`*) 本当におめでとうございました!

気が付いたら前回の記事から、ちょうど1年が経っていました。
健忘録ではありましたが、自分の経験が、どこかにいる誰かの参考になれば、と思って書いていたはずのブログなのに、この1年はどうしてもブログに向かえませんでした。
何度も「ダメでした」と報告するばかり、愚痴ばかりのブログ。
開くのがいやになり、記事を書くことが億劫になり。
やっぱり、疲弊していたんですかね。
初めての流産手術を経験した後、いろいろ悩んだり考えたりした結果、治療は続けました。
まずはこの1年の治療経緯を簡潔にお話したいと思います。
心拍が確認できず、流産となり、手術を終えた後。
2周期あけて、凍結していた2つの胚盤胞を移植しました。無事ひとつが着床し、陽性判定をいただきました。5wで胎のう確認、6wで心拍確認と順調に進み「10週に入ったら卒院ですね」なんて院長から言われ、母子手帳ももらってきました。
しかし、10w1dのエコーで見た赤ちゃんの心臓は、残念ながら止まっていました。
その報告をしたとき、初めて旦那が泣きました。
そして2度目の流産手術。
院長の勧めで受けた検査の結果、赤ちゃんは染色体異常だったことがわかりました。
もし、その後も順調に育っていたとしても、その異常がわかった時点で中絶を選んでいたことでしょう。仕方のないことなんだ、自然淘汰なんだ、親孝行な子なんだ、と考えることしかできませんでした。
その染色体検査の結果が出るまでは約1カ月かかりました。
39歳で採卵した卵子です、染色体異常の確率が高いことはわかっています。覚悟はしていたので、ショックというよりは「そうですよね」という気持ちでした。
それよりなにより衝撃を受けたのは、報告書に書かれていたYYの文字。赤ちゃんは女の子でした。
そっか、あの子は女の子だったんだ。
エコーに映っていた、頭と体の2等身だった小さな受精卵が、確かに生きていた「子供の命」として胸に飛び込んできて、涙があふれそうになりました。
幸せなことに、私にはまだ2つの凍結胚盤胞があるので、流産手術の後、2回の生理が来れば移植は可能でした。でもその子たちを迎える心の準備が出来なくて、ずるずると4回の生理を見送りました。
お迎えしても、またダメだったらどうしよう。
また染色体異常だったらどうしよう。
それなのに、もっと育ってしまってからわかったら、どうしよう。
そもそも、私はまだ子供が欲しいんだろうか。
そんなことをぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる、考えてばかりの毎日でした。
やっと、やっと。
自分が望んで作りだした命を廃棄するなんてありえない、と思えるようになりました。
今周期、凍結している二子ちゃんを戻します。
どんな結果になったとしても、もう採卵はしません。
今出来ることを頑張る、ただそれだけです。
※私信※
ミーコロさん!ご出産、本当に本当におめでとうございます。
ブログは楽しく拝見させていただいておりましたが、パスとIDがわからなくなってしまって、コメントを書き込めなかったのでこちらから失礼します。まだ見てくれているかわかりませんが、ミーコロさんに伝わることを祈って。たくさんの優しさをありがとうございました。ミーコロさんと旦那さん、そしてベビちゃんが素敵な親子になれる未来を確信しながら、ニヤニヤしています(*´∇`*) 本当におめでとうございました!


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